埼玉育児院初期の軌跡 2:小島乘眞と發智庄平

書誌事項

タイトル別名
  • サイタマ イクジイン ショキ ノ キセキ(2)コジマジョウシン ト ハツチショウヘイ
  • The Early Trajectory of Saitama Children's Home 2: Joshin Kojima and Shohei Hotchi

この論文をさがす

抄録

埼玉県で初の児童養護施設である「埼玉育児院」については,その成り立ちに不明瞭なところが多く,特に,創始者である小島乘眞は途中で育児院を辞職している。小島乘眞は天台宗の僧侶であり,苦難の末に育児院を開設している。しかし,法人設立の認可を受け,代表が乘眞ではなく,当時,黒須銀行の頭取である發智庄平に変わっている。乘眞は現在の埼玉県嵐山町にある安養寺の住職であったが,私財を整理して育児院の法人認可を行っているが,その後,数年で身を引いている。本研究は,初期の「埼玉育児院」に何があったのか,また,乘眞はなぜ育児院を始め,辞めたのかなどについて明らかにしていくものである。論文構成としては,創始者である乘眞についての全体像をおさえる「埼玉育児院初期の軌跡1:小島乘眞の足跡と思想」,さらに,なぜ,小島乘眞が埼玉育児院を離れたのかを中心とする「埼玉育児院初期の軌跡2:小島乘眞と發智庄平」の2部構成とする予定であったが,論文をまとめるにあたって,大木隆次郎の子孫の方が保有していた小島乘眞から比企郡長秋葉保雄あての「陳情書」(控とおもわれる物)を新たに発見することができた。そのため,發智庄平を中心とした「埼玉育児院初期の軌跡3:發智庄平と埼玉育児院」を入れ,3部構成とすることとした。また,「埼玉育児院初期の軌跡1:小島乘眞の足跡と思想」については,すでに,佛教大学教育学部論集第34号にて発表している。本研究では,小島乘眞と發智庄平との関係を追求し,乘眞がなぜ埼玉育児院を辞するのかについて考察していくものである。

埼玉育児院

日本弘道会

澁澤榮一

赤裸々ノ告白

identifier:KO003500011741

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ