[論文] 弥生貝交易の中継地 : 鹿児島県高橋貝塚のゴホウラ分析から

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  • [Article] The Takahashi Shell Mound in Kagoshima Pref. : A Relay Point in Neolithic Shell Trade Based on the Analysis of Strombus Shell Waste Fragments Excavated from the Site

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抄録

本論は,弥生時代に沖縄諸島と北部九州を結んで継続した大型巻貝の交易(貝交易)の中継地として知られる高橋貝塚を対象に,遺跡に残された交易品(貝殻)の分析を通してその実態を具体的に描こうとするものである。 論の前半では,貝塚の5文化層の出土土器と,上下4層で実施した貝殻等の炭素14年代測定結果によって時間的な枠組みを確定し,これに基づき,出土したゴホウラ類(ゴホウラ・アツソデガイ)を分析して当地で行われた作業内容を復元し,時間的変化を述べた。後半ではこれを同時期の沖縄諸島にのこる貝殻集積の出土遺物と対応させて,貝殻産地と中継地・消費地の関係を検討し,高橋貝塚を貝交易上に位置づけた。論の要点は以下の通りである。 ・高橋貝塚は弥生前期中葉に始まり,同中期前葉まで継続した集落遺跡であり,琉球列島産の大型巻貝を用いた腕輪の各製作段階を示す貝殻187点が残されている。これらの9割以上はゴホウラ類である。 ・高橋貝塚人は当初から,沖縄貝塚人が作ったゴホウラの背面貝輪用粗加工品をもとに西北九州人のために背面貝輪を作り,さらにゴホウラ原貝から北部九州人のために腹面貝輪粗加工品を作り,これらを北の消費地に輸出していた。 ・高橋貝塚人は途中から背面貝輪製品とともに粗加工品も合わせて作るようになった。 ・腹面貝輪の製作では,ある段階で沖縄から粗加工品用の貝輪素材が届くようになり粗加工品生産の効率が上がるが,間もなく腹面貝輪粗加工品の生産拠点が高橋貝塚から沖縄に移り,高橋貝塚での腹面貝輪粗加工品の生産量は激減する。 ・腹面貝輪粗加工品が中継地を介さずに消費地に届くようになると貝交易における高橋貝塚の存在価値は低下し,遺跡は衰退する。 ・貝交易の中継地としての高橋貝塚の最大の特徴は,沖縄から届いた貝殻や貝輪素材を,製品化し,あるいは製品に一歩近づける加工を行って消費地に届けるという,貝交易初期の経済的役割を果たした点である。

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