[論文] バウリングとの比較からみるハリスの対シャム条約交渉 : 19世紀前半アジアの貿易構造変化と外交

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  • [Article] Bowring’s and Harris’ Treaty Negotiations with Siam in Comparison : Siamese-Western Diplomacy against the Background of Changing Trade Conditions in Asia from 1820s to 1850s

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抄録

本稿は,初代米国駐日総領事タウンゼント・ハリスが来日前にシャムで行った条約交渉を取り上げ,それが行われた歴史的背景と交渉経過を,前年に展開された英使バウリングの交渉経過と対比させつつ考察し,ハリスにとって初めての「外交」経験が持った意味と,それが彼の日本外交に与えた影響を検討することを目的とする。本論は三章から成り,第1章では,19世紀半ばまでのシャムの対外貿易の諸前提と,英米が対シャム条約締結を求めた事情を整理する。第2章では,バウリングの対シャム条約交渉(1855年)の経緯を,彼の刊行日誌及び随員パークスの未公刊日誌に基づき再構成する。第3章では,ハリスの対シャム条約交渉(1856年)の課題と企図,交渉経緯と結果を,刊行・未刊行のハリス関係文書を総合的に参照しつつ再構成し,その特徴を,バウリングの経験と比較しながら考える。 比較考察から明らかになるのは,シャム側が,米使ハリスを英使バウリングよりも格下の外国使節として扱い,両者の待遇を細かに差別化していた様相である。本稿ではその背景に,世界の国々の君主や代表たちをランキング化して捉え,欧州の帝室・王室の高貴な交友関係に自らも一員として連なることを重視する一方,そうしたロイヤル・コネクションの圏外にある米国大統領とその代表の扱いを劣等視する,モンクット王の世界観を読み取った。一方でシャム側は,英国の脅威に対する危機意識を背景に,対外的難事の際の米国の仲裁を条約で規定することを求めたが,仲裁条項の代わりとして米国に有利な条件が最終的に確保できず,また序列認識に基づく差別待遇を敏感に感じ取っていたハリスは,これに応じなかった。その後ハリスは,対欧米関係の蓄積が比較的薄い日本において,欧州諸列強に対する米国の優位的地位の確保と,日米修好通商条約第2条の米国仲裁条項に象徴される特別な日米友好関係の構築に腐心することとなるが,その外交活動は,シャムにおける否定的経験から得られた次のような教訓を,念頭に置いて展開されていた面があると考えられる。すなわち,ヨーロッパ列強に対して劣位に置かれる形での外交交渉は望ましくない,と同時にアジアの国々は侵略的な西洋列強に対処するため仲介国の存在を強く求めている,という観測である。

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