<全該当>を表す語の主観性と集合形成 : 頻度副詞「いつも」と取りたて助詞「ばかり」の比較

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タイトル別名
  • ゼンガイトウ オ アラワス ゴ ノ シュカンセイ ト シュウゴウ ケイセイ ヒンド フクシ イツモ ト トリタテ ジョシ バカリ ノ ヒカク
  • Subjectivity and function of set forming of words expressing no exception: A comparison of Itsumo (always) and Bakari (only)
  • 〈全該当〉を表す語の主観性と集合形成 : 頻度副詞「いつも」と取りたて助詞「ばかり」の比較

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抄録

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本稿は、頻度副詞「いつも」の意味的特徴について論じるものである。母語話者の素朴な直観として、「いつも」は例外のない<全該当>を表しつつも、実際には大幅な例外解釈も許容するという点で二面性を有する。同様の特徴をもつ語としては、取りたて助詞「ばかり」、集合名詞「みんな」などがあげられる。「いつも」がこのような特徴を有するのは、知覚経験を通して得られた経験記憶の集合における<全該当>を表す点に原因がある。すなわち、あくまで話者の経験記憶内における<全該当>であるため、結果として現実世界においての例外を許容することとなる。また、話者は発話時点における文脈・状況の下で活性化された無標の情報について述べるものであり、その時点で「ぱっと」思い浮かんだ経験記憶を述べることになる。なお、同じく<全該当>を表す取りたて助詞「ばかり」において、記憶集合形成の動機となっていると思われる「認識的際立ち性」という要因は、「いつも」においては特段、関与的ではない。

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