安岡正篤の東洋宰相論 ―「万世の為に太平を開く」

書誌事項

タイトル別名
  • Theory of oriental prime minister by Masahiro Yasuoka : Create peace for ten thousands generations
  • ヤスオカ セイトク ノ トウヨウ サイショウロン : バンセイ ノ タメ ニ タイヘイ オ ヒラク

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抄録

安岡正篤は、在野の思想家でありながら、戦前、戦中、戦後と、政財界を牽引する多くのリーダーたちに大きなインパクトを与えた人物である。戦前は金鶏学院や日本農士学校を設立し人材育成に努め、戦時中の小磯国昭内閣では大東亜省顧問に就任し、終戦を告げる昭和天皇の「終戦の詔書」の刪修にも関わり、その中に「萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」との一文を加えた。戦後の一時期は公職追放の憂き目に遭いながらも、解除後は師友会、後の全国師友協会を設立し、講演や執筆、様々な勉強会の講師を務め、精力的に啓蒙活動に取り組んだ。他方、吉田茂、岸信介、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳といった歴代首相の指南役として大きな政治的影響力を持った。張横渠は一一世紀の宗王朝の官吏であり、儒学が成熟した時代を代表する思想家でもある。安岡が「終戦の詔書」に入れた言葉は、張横渠の有名な「天地の為に心を立つ、生民の為に命を立つ、往聖の為に絶学を継ぐ、万世の為に大平を開く」という四言教から引用されている。安岡が遺した多くの著作においても、この言葉が頻繁に登場する。安岡にとって重要な言葉だったことが分かる。そこで本稿では、安岡の歩みとその学問的特徴、戦後政財界のリーダーたちに、どのような助言を行なったかについて述べた上で、安岡の理想とした宰相像を張横渠の言葉から紐解いていく。

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