日本統治下における台湾南部の日本人教員に関する研究 : 公学校校長黒川亀吉のライフヒストリーを手掛かりに

書誌事項

タイトル別名
  • Japanese Teachers in Southern Taiwan under Colonial Rule : The Case of Principal Kamekichi Kurokawa
  • ニホン トウチ カ ニ オケル タイワン ナンブ ノ ニホンジン キョウイン ニ カンスル ケンキュウ : コウガッコウ コウチョウ クロカワ  カメキチ ノ ライフ ヒストリー オ テガカリ ニ

説明

黒川亀吉は群馬生まれで1899 年に日本統治下の台湾へ渡った日本人教員である。1920 年11 月に病気で亡くなるまで、台湾の南部と離島の公学校に勤めていた。最後の勤務校となる高雄の瀰濃公学校では分校設置などに携わり、地元からも信頼されていた。死後、地元住民によって記念碑が建設され、瀰濃公学校の生徒たちも毎年命日にお参りに行っていたそうである。2015 年に、戦後所在地がわからなくなっていた記念碑が発見され、「黒川校長」の存在は再び注目された。しかし、現在発表されている黒川に関する記録に疑問が多数残されているため、本稿は黒川校長のライフヒストリーを手掛かりに再調査を行い、彼の功績と地元に与えた影響を明らかにしたものである。

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