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Experiences of Gonroku(Choujun)Sasaki, a samurai of the Fukui domain, and hisinterpreter Naotaro Yanagimoto in U.S.(June1867-October1868) : What emerged from the cross-checking of Japanese and U.S. historical documents related to the Japanese residents in San Francisco
Bibliographic Information
- Other Title
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- 福井藩士佐々木権六(長淳)と通訳柳本直太郎の米国体験(1867年6月~1868年10月) ―サンフランシスコ長期滞在日本人に関する日米史料の照合から見えてきたもの
- フクイ ハンシ ササキケン ロク(チョウジュン)ト ツウヤク リュウ ホンナオシ タロウ ノ ベイコク タイケン(1867ネン 6ガツ ~ 1868ネン 10ガツ) : サンフランシスコ チョウキ タイザイ ニホンジン ニ カンスル ニチベイ シリョウ ノ ショウゴウ カラ ミエテ キタ モノ
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高橋是清の自伝等から,幕末維新期(1860年代後半),米国カリフォルニア州サンフランシスコに少なからぬ日本人が長期滞在していたことが分かっている。本稿は,米国の新聞記事等を渉猟し,日本側の関連史料と照合することにより,彼らの足跡を明らかにし,日米交流史上の位置付けを試みる調査研究の一環である。1866年の幕府による海外渡航解禁後,福井藩は独自に軍備増強を図り,藩士佐々木権六(長淳)と通訳柳本直太郎を銃砲購入のために米国に派遣した。二人は1867年6月14日にサンフランシスコに上陸し,米国新聞に紹介記事が掲載された。佐々木は,武器購入派遣の役人というよりは,科学者,好奇心旺盛な見学者として描かれ,その記事は米国各地の新聞に転載された。当時,カリフォルニア州では中国人労働移民が激増していた。日本人は彼らと比較され,その勤勉さと知的向上心,適応力ゆえ,カリフォルニア州民の未来のビジネスパートナーとして期待されていたことが関連記事からうかがえる。通訳の柳本は佐々木の帰国後も米国に残り,英語力に磨きをかけていた。1868年3月,幕末維新の混乱に乗じて二束三文で入手した日本の工芸品の販売のために,福井藩出身の関戸由義がやってきた。柳本は彼の通訳を引き受けることになり,ハワイにも同行した。関戸は,サンフランシスコ滞在中に得たビジネスのノウハウを活かし,帰国後,サンフランシスコと同じ港都神戸のディベロッパーとして活躍する。佐々木,柳本,関戸の3人の福井藩出身者等の例から,当時,サンフランシスコには日本人が住み着き,あるいは長期滞在し,その旺盛な向学心や知的好奇心を満たす良好な環境が醸成されていたことが分かる。
Journal
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- The journal of humanities and sciences
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The journal of humanities and sciences 53 61-84, 2025-03-25
拓殖大学人文科学研究所