石原莞爾の対中国観を追う ―満洲事変から東亜聯盟への軌跡―

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タイトル別名
  • A Study of Ishiwara Kanji's View on China : Traces From Manchurian Incident to East-Asian Alliance
  • イシハラ カンジ ノ タイチュウコクカン オ オウ : マンシュウ ジヘン カラ トウア レンメイ エ ノ キセキ

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抄録

本稿は関東軍参謀として満洲事変を画策したことで知られる石原莞爾の対中国観を追う。石原は満洲事変を起こしたものの,後の日中戦争勃発にあたっては,陸軍参謀本部作戦部長という要職にあったにもかかわらず「不拡大」の立場で,その収拾あたった。そこに至る彼の思想的変遷を,特に対中国観という面から跡づける。 若き頃より中国に対して並々ならぬ関心を抱いていた石原は,辛亥革命勃発の際にはその前途に希望を持ち,大きな喜びに震えた。ところがその後軍閥間の抗争に明け暮れる中国に失望し,中国人の政治能力に疑問を抱く。満洲事変直前には,来たるべき日米間の世界最終戦争の準備が必要で,日本が満蒙を領有し,その治安を守る,といった考えを構築する。満洲事変・満洲国建国の過程で,石原の中国人の政治能力に対する懐疑は解け,満蒙独立論に転化,日中平等の民族協和国家の建国を推進する。この民族協和政治の実現は協和会に期待し,満洲を去り参謀本部で自らの構想を提唱するが必ずしも理解されない。「日支平等」の考えを成長させ,東亜聯盟を提唱していく一方で,参謀本部作戦課長や戦争指導課長としてソ連の脅威にどう対処するかを考えざるを得ず,満洲国構想も東亜聯盟論もこの点で意味づけられた。すなわち満洲国-東亜聯盟を完成させ,国防を充実させソ連に対抗し,また日本国内の改造(昭和維新)が必要である,という方向へ向かうのである。

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