前4世紀アテナイの海上同盟とペルシア帝国

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タイトル別名
  • The Relationship between the Athenian Confederacy and the Persian Empire in the Fourth Century B.C.
  • ゼン 4セイキ アテナイ ノ カイジョウ ドウメイ ト ペルシア テイコク

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ペロポネソス戦争とコリントス戦争という二大戦を経た後, ギリシア世界の覇権を掌握したのはスパルタであった。このスパルタ勢力に対抗すべくアテナイがとった策は, 前377年, ビュザンティオン, キオス, ロドス, テバイなどの諸市と軍事同盟を結成することであった。後に第二次海上同盟と呼ばれることになるこの同盟は, 前355年, 同盟諸市らの反乱により勃発した同盟市戦争により事実上, 瓦解するも, 形式上は前338年にフィリッポス2世がギリシア世界を征服するまで継続した。第二次海上同盟に対する研究, とりわけその外政面に関しては, 概して「第二次帝国」(或いはデロス同盟の復活)という見解が有力であった。これに対し, J. L. Cargillは史料の洗い直しを行うことにより, 第二次帝国を否定するに至った。彼の意見によれば, 帝国的と考えられている行動は同盟諸市の了解内において行われており, アテナイが設立当初に掲げた同盟規約に違反することは決してなかった。これらの意見はいずれもが, アテナイと同盟諸国との関係というギリシア世界内における動向を第一に考え, ペルシア帝国を二次的なものとして考えている。しかし, ペロポネソス戦争以来, 前4世紀を通じてペルシア大王と太守らは幾度となく, 直接或いは間接的に, ギリシア諸市に介入している。特に, コリントス戦争の講和条約として締結された大王の和約は, ペルシア大王のギリシア諸市に対する影響力を明文化したものであった。そこで, 筆者は第二次海上同盟期アテナイの対外政策を, アカイメネス朝の視座から捉えなおす必要性を感じた。筆者は主に, 二人のペルシア大王―アルタクセルクセス2世とアルタクセルクセス3世―の政治的意図に着目し, ギリシア世界の動向を, どのように解釈し得るかを検討した。ペルシア大王は, ギリシアを小アジアに進出させないように気を配りながらも, ギリシア世界の覇権をいずれのポリスが掌握するかについては, 関心を持っていなかった。そして, このペルシア大王とギリシア諸市との間の微妙なバランスの崩壊が, 古典期からヘレニズム期への移行における, 一つの重要な契機となったという結論に達した。

収録刊行物

  • 西洋古代史研究

    西洋古代史研究 2 1-20, 2002-03-25

    京都大学大学院文学研究科西洋史学研究室

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