『沙石集』における徳目 : 北条政権との関わり

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  • シャセキシュウ ニ オケル トクモク ホウジョウ セイケン ト ノ カカワリ
  • シャセキシュウ ニケル トクモク ホウジョウ セイケン トノ カカワリ
  • A Study on Morality of Shasekishu

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Abstract

『沙石集』における徳目説話は、従来同時代の教訓的説話群の中に埋もれてほとんど顧みられることがなかった。しかし、それらを微細に見ていくと、そこで説かれる徳目は、北条重時の家訓や『吾妻鏡』で主唱される武士道徳と関連が深く、武家に生を受けた若者無住はそうした徳目に共感しつつ説話を叙している様子が窺える。一方、『沙石集』に北条泰時の説話が目立つことは以前から注目されていたが、その泰時像も同様の徳目によって彩られており、泰時説話は先述の徳目説話と一連のものと見なし得る。そして、それら『沙石集』の泰時説話や徳目説話、さらには重時家訓や『吾妻鏡』の背後にあって、そこで説かれる徳目を支えているのが泰時によって制定された『御成敗式目』の理念であると考えられるのであり、おそらく無住は鎌倉在住時、幕府周辺で鼓吹された式目理念を基盤にもつ武士道徳の影響を直接間接に蒙ったものと推察される。その際、無住と北条政権をつなぐ接点の役割を果たしたのが、寿福寺のような幕府所縁の寺であり、また該寺の僧と関係を持ち得た有力御家人安達氏であったと考えられるのである。

Journal

  • 人文研究

    人文研究 57 217-232, 2006-03

    大阪市立大学大学院文学研究科

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