法・道徳・自然 : カント哲学の底流にあるもの

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タイトル別名
  • ホウ ドウトク シゼン カント テツガク ノ テイリュウ ニアル モノ
  • LawMonrality and Nature : An Undercurrent in Kant's Philosophy

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抄録

人間が同じく人間である他者を法的に裁くことができるという重い事実は日常の事実であるが、その事実は如何にして成り立つのか。法の成立根拠が問われなければならない。あるいは、人間が生身の人間として情念や傾向性を保持しながらも、道徳に適った行為をすることができるという事実は如何にして成り立つのか。道徳性の成立根拠が問われなければならない。この二つの問題は往々にして別々の問題であると理解されがちであるが、両問題とも人間の行為に関わる問題であるから、別々の問題であるはずがない。カントでさえ一見すると、両問題を異なる領域の問題であると考えているふしがあるが、読解すると両問題に関する彼の思索は繋がっているのである。そして彼の思索において極めて特徴的な論点は、この二つの問題の解が自然認識の重要な側面に見出されると思索したところにある。本稿はカントの次の言明に導かれた論考である。「人間の行為の法的関係と動力の機械論的関係との間にはアナロジーがある。すなわち、同じ条件の下では同じ事を私に対して行う権利を他者に与えなければ、私は他者に対して断じてその事を行うことができない。同様にどんな物体も他の物体に同量の反対運動を引き起こさずに、その運動力で他の物体に作用することはできない。この場合、権利と運動力とは全く類似のものではないが、それらの間には完全な類似がある。」この言明に依拠して、道徳性の成立根拠をも探索したい。最後に、上記二つの成立根拠となっていると理解されるカントの自然認識の有り体の特徴的側面を簡潔に見ておきたい。

収録刊行物

  • 人文研究

    人文研究 57 23-40, 2006-03

    大阪市立大学大学院文学研究科

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