近代日本と国体観念

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「国体」と言えば,戦後世代には「国民体育大会」の略称としか伝わらない。しかし戦前においてはこの言葉は,天皇を神聖不可侵の絶対的存在と位置づげ,これに対する無限の忠誠を日本人の崇高な責務として強要する,イデオロギーの表現にはかならなかった。大戦末期には,「国体護持」に固執するあまり戦争終結の方策を誤り,ついに原爆の惨禍を阻止することもかなわなかった。すなわち「国体」と引き換えに,幾十万の無筆の生命が奪われたのである。アジアの無数の民にはかり知れぬ痛苦を与えた侵略行為の根底 にも,この「国体」の妄想があったことは言を持たない。そしてこの観念に対し異を唱える者は「国賊」「非国民」の罵声を浴び,疑念なくこれを信奉すべく大多数の日本人が徹底的に精神を呪縛された。まさに一億総マインドコントロールの恐怖である。 だがかかる「国体」の観念は,実は戦時中の軍国主義の特産物ではない。その淵源は,幕末期のナショナリズムの高揚の中で唱導された,国家独立の希求のスローガンにある。本稿では,そうした前史をふまえつつ,近代日本における国体観念の諸相について論じてみたい。

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