从国民参政会到内战下政治协商会议

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国民参政会は、国民政府のもとに1938年7月、戦時民意機関として設置され、1948年3月まで存続した。同会は、中国国民党の「訓政」下という限定付きではあったが、中国共産党、民主諸党派、無党派の人々も参加し、事実上の「国会」に近い役割を果たした。1946年1月には、同じく国民政府のもとに政治協商会議が設置され、国民党、中共、民主諸党派、無党派の代表38名が参加し、「和平建国綱領」を採択し、政治の民主化、軍隊の国家化、国民政府の改組による各党派の参加、国民大会の開催による憲法の制定、憲政への移行の合意が形成された。国民党は「訓政」から国民大会開催を経ての憲政への移行を計画していたが、中共と民主諸党派の多数は即時「訓政」廃止を要求して対立し、国民参政会をボイコットするに至った。中共は、国民参政会・政治協商会議で国民党一党独裁を批判し、民主主義を要求したが、中華人民共和国樹立後、民主主義を実現せず、中共独裁を実行した。  本稿は、2012年3月15日、華東師範大学、3月17日、同済大学における講演原稿である。本稿は、2011~2012年度中央大学特定課題研究助成を受けた。

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