兀良哈征討軍と土木の変
書誌事項
- タイトル別名
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- The Military Expedition by Ming Dynasty to the Uriyangkhad and The TuMu Incident
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説明
正統十四年(一四四九)七月、長城がモンゴル軍に侵犯されたという情報に接すると、中国の明王朝では、英宗の親征をたちどころに決定した。親征の準備は、着々と進められ、十六日には北京を進発した。まさに電光石火のような早業の進発をなしえたのは、五年前の正統九年(一四四四)における兀良哈征討の成功体験を、もう一度英宗自身の手で再現しようと企図し、その準備がかねてから十分なされていたからであろう。ところが、英宗親征軍が編制されたときには、兀良哈征討軍はそれに組成されなかった。そのため、同年八月十五日における土木の変での覆滅を免れ、変後の京師防衛戦に再出軍して、モンゴル軍相手に様々な軍功をえて陞進することとなった
収録刊行物
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- 人文研紀要
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人文研紀要 79 139-164, 2014-09-16
中央大学人文科学研究所
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050282677683507840
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- ISSN
- 02873877
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB