フランシス・ベーコンの"生と死の話"とクリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラントの"マクロバイオティック"における長生法の相違

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タイトル別名
  • フランシス ・ ベーコン ノ"ナマ ト シ ノ ハナシ"ト クリストフ ・ ヴィルヘルム ・ フーフェラント ノ"マクロバイオティック"ニ オケル チョウセイホウ ノ ソウイ
  • Difference in The Art of Prolonging Life between Francis Bacon's Historia Vitae et Mortis and Christoph Wilhelm Hufeland's Macrobiotic

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抄録

本研究は、英国の哲学者フランシス・ベーコン(1561-1626)の⽛生と死の話⽜(HistoriaVitae et Mortis)とドイツ人医師クリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラント(1762-1836)の⽛長生法⽜(Art of Prolonging Life: Macrobiotic)の内容の比較に基づき、両者の長生法の相違を明らかにする試みであった。ベーコンとフーフェラントの長生法はともに、長生きだけを目的とした長寿の達成法ではなかった。前者においては人生のなすべき役目の達成を妨げてはいけないものであり、後者においては健康長寿の達成のための尽力により人間的完成をも実現するものであった。ベーコンによる長生法研究の動機は、中途半端な自然観察から得られたために何にも導かない従来の方法論を刷新して、アウトカムを導く方法論により長生を実現することであった。その方法論は、推論を交えない自然の観察だけからの帰納により一般原則を導き、そこから集約された⚓つの意図(intentions、処置計画)を10 のオペレーション(operations、術)に展開することからなる。ベーコンのスピリットすなわち無生物スピリット(the non-living spirits)と生物スピリット(the vital sirit)は、物体や身体の内部に存在して、物体や身体に内的価値を与える物として、長生法の意図に基づくオペレーションの展開において人による操作の対象になるものであることから、自然の観察から帰納された一般的原則であることが示唆される。一方、フーフェラントの生命力(the vital power)は、内的価値の欠如する身体構成要素に生命という内的価値を付加する身体外からの作用因である。この生命力は、原則に基づくオペレーションの展開において人による操作の対象にならないものであることから、自然の観察から帰納された一般的原則というよりもむしろ宗教的直感(religious intuition)であることが示唆される。このように人による操作の対象にならない生命力に基づくフーフェラントの長生法は、客観的な科学として発展することが困難であった。もし宗教的直感に基づきつつしかも自然の観察だけからの帰納により長生法の一般的原則を導くための方法があるならば、それはベーコンの物(matter)および身体のように、内在的価値を有する物(matter)および身体からの主体的自然観察であるように思われる。その場合、内在的価値を有する物(matter)および身体が配慮する自然の観察という方法になる。このような自然の観察から帰納される一般的原則は、ベーコンのスピリットのように意図に基づくオペレーションの構成要素になることで、客観的な科学として発展し得る長生法をもたらすことが期待される。

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