朝鮮初期における王陵祭祀の整備と運営

書誌事項

タイトル別名
  • The Administration and Maintenance of Royal Tomb Rituals in the Early Joseon Dynasty

抄録

朝鮮王陵の研究は,風水地理学と美術史学などにおいて行われてきたが,国家儀礼 からのアプローチはほとんどなかった。そこで本稿では祭礼を対象に,朝鮮時代初期 における王陵祭祀の制度的整備と儀式,宗廟との差別性,そして陵幸の政治的意味な どに注目し,国家儀礼における王陵の位置づけについて考察した。  朝鮮王陵は,太祖の即位後,追尊された四代王と王妃,そして神懿王后の齊陵が造 営され,祭祀が施行されることに始まり,陵祭の整備は,実母である神懿王后韓氏の 齊日に太宗が行幸したことを受けて行われたが,太宗代における太祖の死亡を機に本 格化した。厚陵と獻陵が造営された世宗代には,祭祀の細部項目と拜陵儀が修正・補 完され,その内容は世宗の死後『世宗実録』五礼の凶礼条と吉礼条に収録され,部分 的な修正を経て『国朝五礼儀』に収録された。  王陵祭祀は,四孟月の時祭と朔望,俗節など多様であるが,これは当時の宗廟およ び原廟である文昭殿において施行されたものと同じであった。これは高麗時代からの 伝統と思われるが,中国にも類例が見られる。しかし高麗の陵祭が国家祀典の大祀に 組み込まれていたのに対し,朝鮮のそれは「俗祭」という大中小祀とは異なる体系に 属しており,また大祀に属する「宗廟」祭祀とも区別されていた。また陵祭が凶礼で あった中国とは異なり,王陵にかかわる儀式を凶礼と吉例に区分して組み込んだとい う独自性も見られる。  太祖~成宗にかけての100年間における国王の親祭は,宗廟に対しては41回に過ぎな かった反面,王陵や原廟(文昭殿)に対しては毎年2 ~ 5 回行われた。原廟はその後, 壬辰倭乱(秀吉の朝鮮侵略)の際に破壊されて復旧されず,王陵における四時祭も仁 祖代に廃止された。王陵祭祀はその後,俗節祭(臘日を除く)を中心に運営された。  朝鮮時代において,王が祭祀に直接参加した例は意外に多くなく,宗廟の場合でも おおよそ2 ~ 3 年に一回程度であったが,王陵の親祭は,毎年数回にわたって行われた。 累代の先王が集る昏殿よりも,肉身が安置された個々の陵に親近感を覚えたことや,俗祭であり儀式が簡略であったことなどがその背景にあろう。いっぽう荘厳な儀仗を 備えた陵幸は,都城を出て民に自分たちの「王」を知らしめる重要な政治行為であった。

原著:ハンヒョンジュ 翻訳:金子祐樹

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