真景図を写す : 武元登々庵をめぐる画家 大西圭斎と大原東野

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タイトル別名
  • Copying Shinkeizu (True-view Paintings) : Concerning Painters Connected to TAKEMOTO Totoan Such as ONISHI Keisai and OHARA Toya
  • シンケイズ オ ウツス : ブ ゲントウクリカエシアン オ メグル ガカ オオニシ ケイサイ ト オオハラ ヒガシノ

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抄録

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漢詩人、書家として知られる武元登々庵(1767 ~ 1818)は寛政11 年(1799)から翌年にかけて画家大西圭斎とともに奥州を旅した。登々庵は圭斎が描いた「真景図」をもとに「登々庵奥遊詩画巻」(広島県立歴史博物館、重要文化財「菅茶山関係資料」)を別の画家に描かせ、儒学者菅茶山に見せた。茶山は「登々庵奥遊詩画巻」とは別に圭斎の「真景図」を写させて画帖の「登々庵奥遊詩画」(広島県立歴史博物館、重要文化財「菅茶山関係資料」)を作っている。茶山の弟子で尾道の豪商でもある松本孟執(泉屋治右衛門)が「登々庵奥遊詩画巻」を自ら写したのが「奥秘三勝」(岡山県立博物館)である。登々庵の周辺では実景に接しない画家によって登々庵の実体験に結びつく作品が作られていた。「真景」と題された作品を我々は画家の実体験と結びつけがちだが、画家ではなく注文主、賛者にとっての「真景」を想定できる。実景に接しない画家による実景図が多数作られたことを思えば、「真景」でも同様に画家の実体験を伴わない「真景図」が考えられる。

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