レナード・バーンスタインにおける中年期危機とその後の音楽活動
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レナード・バーンスタインは20世紀にアメリカが生んだ大指揮者兼作曲家として、世界中で活躍し、多くの人々から愛された。バーンスタインにとって、1970年代の後半を中心とした危機的状況は重要な意味を持つと考えられる。作曲家として後世に残るようなシリアスな名曲を作曲したいという思いのため、1969年にニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者を辞任したが、その後に作曲した大曲はいずれも期待したような評価は得られず、熱狂的な歓迎の得られる指揮活動を中心にせざるを得なかった。また1976年から1年近くバーンスタインは、妻のフェリシアと別居し男性の愛人と暮らしていたが、その別居中に発症したと思われる肺癌のため、1978年フェリシアは死去した。その悔恨の思いはバーンスタインの生涯続き、その後の音楽活動にも影響を及ぼした。特に演奏面での変化は著名で、遅い曲でバーンスタインのとるテンポは時々極端に遅くなっていった。
Journal
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- 三重大学教育学部研究紀要. 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学
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三重大学教育学部研究紀要. 自然科学・人文科学・社会科学・教育科学 56 107-113, 2005-03-31
三重大学教育学部
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Details 詳細情報について
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- CRID
- 1050282677915590144
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- NII Book ID
- AA12097333
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- HANDLE
- 10076/6686
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- ISSN
- 03899233
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- Text Lang
- ja
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- Article Type
- departmental bulletin paper
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- Data Source
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- IRDB