樽の中の世界市民― C.M.ヴィーラントの『ディオゲネスの遺稿』

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タイトル別名
  • タル ノ ナカ ノ セカイ シミン : C.M.ヴィーラント ノ 『 ディオゲネス ノ イコウ 』
  • Kosmopolit in der Tonne- "Nachlass des Diogenes"von C.M.Wieland

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抄録

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特定の境界線に重きを置かず、あまねく「人間」の幸福に思いを向けることを基本姿勢とするコスモポリタニズムは、多彩な展開を見せながら一八世紀ドイツ語圏の知識人に広く受け入れられていた。その流行は一九世紀初頭まで続き、対仏大同盟戦争の敗北によってドイツ語圏で新たな共同体の構築が求められるとともに影響力を弱めてゆく。ナショナリズムの世紀が始まるまでの過渡的な現象だったとはいえ、市民知識層の政治的な自意識形成を刻印したこの思想的潮流は、ドイツ語圏における政治的な自己像の形成過程を知るための決定的な鍵である。それがどのような内実を持ち、また当時の言説空間においてどのような機能や意義を持ったのか。本稿は、そうした問いに取り組む一環として、C.M.ヴィーラントによる小説『ディオゲネスの遺稿』(1770)を分析するものである。『ディオゲネスの遺稿』は、ヴィーラントにとってコスモポリタニズムの主題を打ち出した初めての小説であった。その内容は、「自然状態」を想定し「社会契約」の観念で社会の成り立ちを思い描こうとする市民社会論の想像力、そしてまた普遍的な「人間性」を掲げる啓蒙主義の道徳に強く刻印されており、それを見ると、コスモポリタニズムがなぜ啓蒙思想とともに影響力を強めたのかがよくわかる。ヴィーラントのテクストは、古代ギリシアに生きたコスモポリタンの姿を借りて啓蒙の理念に具体的な肉付けを与えようとしたひとつの思考実験にほかならず、同時に、そのような具体像を通して啓蒙の理念をコスモポリタニズムに結びつけることをうながす、思考実験への誘いでもあった。そこには彼の、また啓蒙時代のコスモポリタニズムの基本的な特徴が、その可能性や問題性とともに明らかになっている。

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