米沢藩の財政改革と上杉鷹山

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タイトル別名
  • Fiscal reform of Yonezawa clan and Uesugi Youzan

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抄録

本論文は、太閤秀吉の九州入り以前において、北部九州の有力な豪族であった秋月氏の流れである宮崎高鍋藩の上杉家と養子に入った鷹山の財政改革について考察する。上杉鷹山の藩政改革は、前期の藩政改革失敗の時期と後期の藩政改革成功への道程の時期の2つに分けて考えることが出来る。米沢藩は戦国時代の英雄上杉謙信を藩祖とする有力藩である。上杉景勝の代に関ヶ原の戦いにおいて西軍について敗れ120万石から30万石に減封された。更に、第3代綱勝が後継ぎがないまま亡くなったために吉良義央と綱勝の妹富子の子を第4代上杉綱憲としたが、上杉家の禄高は会津時代の120万石の8分の1の15万石にまで減らされた。米沢藩は藩士を解雇せずに移封されたために常に財政難となり倹約が必要な藩となった。

収録刊行物

  • 経済社会研究

    経済社会研究 58 (1-2), 21-49, 2018-06-25

    久留米大学経済社会研究会

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