西田哲学における「自覚」 --<自覚せしめる動員>との関係--

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タイトル別名
  • "Self-awareness" in the Philosophy of Kitaro Nishida and the Mobilization of People in World War II
  • 西田哲学における「自覚」 : 〈自覚せしめる動員〉との関係
  • ニシダ テツガク ニ オケル 「 ジカク 」 : 〈 ジカク セシメル ドウイン 〉 ト ノ カンケイ

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抄録

戦中、日本の教育学において、自覚概念は「自覚せしめる」という言い回しにおいて「動員」のために用いられた。では、日本における自覚概念の源泉の一つであった西田哲学の自覚概念には、そもそも「動員」のために機能してしまうものが含まれていたか。西田によれば自覚は「行為的自覚」である。「行為」とは「事に臨む」ことである。そして、行為的自覚が成立するには、「事」は「汝」でなければならない。そして、そのとき「自己」は否定される。しかし、そこでこそ「自己」の「人格」もまた成立する。そのように西田はいう。ここに、西田の自覚概念が動員のために利用されてしまう可能性があった。ところが、自覚における「汝」に注目し、さらに「自己と汝とを包摂する一般者の不在」にまで目を向けるとき、西田の自覚概念はむしろ<自覚せしめる動員>の思想の不整合を示し、その思想を無効にすることが明らかとなる。

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