飯田市における文化行政とまちづくりの変遷 : 人形劇フェスタを中心に

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  • イイダシ ニ オケル ブンカ ギョウセイ ト マチズクリ ノ ヘンセン : ニンギョウゲキ フェスタ オ チュウシン ニ

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抄録

飯田市は、1979年に始まった人形劇の祭典「人形劇カーニバル飯田」の成功を機に、1980年代後半より「人形劇のまち」として、人形劇をまちづくりの核とした文化政策を展開してきた。カーニバルは、当初、行政主導で誕生し運営されていたが、市内全地区に広がる「分散公演」を公民館が担うという飯田独特のシステムにより、徐々に市民への浸透を広げると共にその規模を拡大させ、飯田市民にとっても、国内外の人形劇関係者にとっても、なくてはならない祭典となっていった。そして、カーニバルは一旦20回で終了し、翌年、市民による実行委員会体制によって運営される「いいだ人形劇フェスタ」として再生され現在に至る。本稿では、行政主導で誕生し運営されていたカーニバルが、市民の主体性が発揮される文化活動となり、人形劇によるまちづくりが実現されるに至った30余年の変選を、行政の側面から分析した。その結果行政主導によってカーニバルが誕生した「揺藍期」、市民の文化運動としてカーニバルが浸透した「発展期」、まちづくりの核にカーニバルを位置づけた「成熟期」、市民がつくるフェスタへ移行した「新生期」の4期に分類できた。この4期を追う中で、飯田市が文化行政の展開にあたり、行政は市民との協働的な関係のなかで手探りをしながら市民とのかかわり方を模索し、人形劇によるまちづくりを進めてきた文化行政変選の過程が明らかになった。

identifier:http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/handle/11173/267

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