ドイツにおけるイタリア簿記の展開-Sartorium, Wolffgangum1592年-

抄録

「複式簿記」については,世界に現存する最初の印刷本『算術・幾何・比および比例全書』が,1494年にPacioli, Lucaによって出版されてから,これに遅れること約半世紀,これを原型とする「イタリア簿記」がドイツに移入される。1549年にSchweicker, Wolffgangによって出版される印刷本『複式簿記』(”Zwifach Buchhalten・・・“, Nürnberg.)が,それである。これに遅れること約4半世紀,1570年には,Gamersfelder, Sebastianによって印刷本『イタリアの技法に拠る二様の帳簿での簿記』(”Buchhalten Durch zwey Büchernach Italianischer Art vnd Weise・・・“, Danzig.)が出版される。さらに,これに遅れること約4半世紀,1592年には,Sartorium, Wolffgangumによって印刷本『プロシアの貨幣単位,寸法単位と重量単位に拠る二様の帳簿を持つ簿記』(”Buchhalten mit zwey Büchern nach Preussischer Münz, Maßvnnd Gewicht・・・“, Danzig.)が出版される。また,Pacioloによって世界に現存する最初の印刷本が出版されてから,これに遅れること,まさに1世紀,1594年には,Goessens, Passchierによって印刷本『イタリア人の技法に拠る簡明な簿記』(”Buchhalten sein kurtz zusammen gefasst vnd begriffennach arth vnd weise der Italianer・・・“, Hamburg.)が出版される。イタリア簿記は,ドイツに移入されてから約半世紀の間,ドイツにも展開されて,発展される。したがって,16世紀の後半,ドイツに移入されてから約半世紀の間こそは,まさに「ドイツにおけるイタリア簿記の展開と発展の半世紀」である。しかし,ドイツに移入されることによって,イタリア簿記は,どのように展開されたか,どのように発展されたか,それでは,ドイツにも展開されて発展されるイタリア簿記が,今日の複式簿記に,どのような影響を与えたかとなると,全く解明されてはいない。たとえば,帳簿記録について,Schweickerによって出版される印刷本では,企業の開始日が3月1日,決算日は5月5日でしかない。Gamersfelderによって出版される印刷本では,決算日は12月30日であるのだが,企業の開始日は4月1日でしかない。これに対して,Sartoriumによって出版された印刷本では,企業の開始日は1月4日,決算日が12月31日である。ドイツに出版される印刷本では初めて,「年度決算」(Jahresabschlüß)が例示されるのである。さらに,帳簿締切については,「残高勘定」が開設されるのだが,Schweickerによって出版される印刷本では,左側の面は「この帳簿ないし計算を締切るために,借方(Zu beschliessen diß Buch oder diese rechnung soll)」,右側の面は「これに対して,この帳簿ないし計算を締切るために,貸方(Zubeschliessen diß Buch oder Rechnung entgegen soll haben)」と記録されるだけである。これと同様に,Gamersfelderによって出版された印刷本でも,左側の面は「この帳簿を締切るために,借方(Zu beschliessen diß Buch sol)」,右側の面は「この帳簿を締切るために,貸方(Zu beschliessen diß Buch solhaben)」と記録されるだけである。これに対して,Sartoriumによって出版される印刷本では,左側の面は「この帳簿の『残高』は借方(Bilanza dißBuchs sol)」,右側の面は「この帳簿の『残高』は貸方(Bilanza diß Buchssol haben)」と記録される。ドイツに出版される印刷本では初めて,「貸借均衡」(Bilanz)を意味する名詞を付しての「残高勘定」に,まさに「貸借残高」という名詞が使用されるのである。しかも,それだけではない。期末棚卸が導入されると,取得原価(Anschffungswert)で計算されるだけではない。商品が完売されないなら,X商品,Y商品に区別する商品勘定の貸方の面に,「売残商品」である繰越商品の商品残高が追加,記録されることによって,「期間の口別損益」である商品売買益または商品売買損が計算されるが,「仕入可能な単価」(kauffgangbar afl.)でも計算される。ドイツに出版される印刷本では初めて,商品残高が「時価」(Z e i t w e r t )でも評価されるのである。したがって,イタリア簿記は,Sartoriumによっても大いに展開されたのではなかろうか。しかし,Penndorf, Balduinによると,「Gamersfelderの著作が褒め称えられる賞賛については,本書を徹底して塾読した後に確信するところでもあるが,ドイツで最初の有用な簿記の著作であることこそは賛同されうる」と表現して,Gamersfelderによって出版される印刷本は高く評価されるのに対して,Sartoriumによって出版される印刷本については,詳細に解説されはするが,それほど評価されることはない。Penndorfは表現する。「Gamersfelderの著作は,彼以外のダンツィヒの算術専門職によって模倣された。1592年に出版されたのは,(標題に自身が表現するところでは)『Beutler Casse家に居住するダンツィヒの公証人かつ,算術専門職であるSartorium, Wolffgangumによって,流麗な文体で完璧に説明される印刷本』である」と。そこで,複式簿記としては,ドイツに移入されることによって,イタリア簿記は,はたして展開されたか,展開されたのはどこかについて,1592年にSartoriumによって出版される印刷本『プロシアの貨幣単位,寸法単位と重量単位に拠る二様の帳簿を持つ簿記』を解明して,筆者なりの卑見を披瀝することにしたい。

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