近世期宮崎郡における取り立てと「身上り」

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  • The contribution and the promotion in Miyazaki County in the Early Modern

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抄録

近世村落には百姓身分以外に苗字・帯刀を許された郷士が存在した。本稿は日向国延岡藩領宮崎郡村々で漸次取立てられた郷士について、その取立てられた契機・処遇・勤務方等を明らかにするとともに、特に安政三年の藩財政改革において賦課された貸上銀上納に対する反対給付としての身分・格の上昇=「身上り」状況を解明することを課題とする。延岡藩では有馬氏時代に宮崎郡に小侍・足軽が置かれていたことが確認でき、内藤氏の入封以降、宮崎郡では治安の悪化を理由に漸次郷士・郷足軽が取立てられた。化政期以降は藩財政の窮乏にともない、献納銀上納による「身上り」が広汎にみられるようになる。安政改革で宮崎郡に賦課された改革備金は七三〇〇両であり、献納した三五〇余人には銀額に応じて身分・格、下賜物が給された。百姓から脇差御免には銀一〇〇目、郷士になるには銀一貫目以上が必要であった。郷士のなかには郡奉行の直接支配下となる「郡方支配郷士」や、さらに「組外役人列」まで昇る者もいた。彼らの多くは年貢米の廻漕に携わる商人たちであり、財力により身分・家格上昇を果たしたのである。彼らは宮崎郡地域での政治的・経済的ヘゲモニー主体層であったといえる。

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