釜利谷高等学校クリエイティブスクールと高校教育改革

書誌事項

タイトル別名
  • カマ リダニ コウトウ ガッコウ クリエイティブスクール ト コウコウ キョウイク カイカク
  • カマリヤ コウトウ ガッコウ クリエイティブ スクール ト コウコウ キョウイク カイカク
  • High School Education Reform:Kanagawa Prefecture'sKamariya High School as a Creative School

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抄録

本稿では、1980年代以降の急激な社会構造の変化、すなわち米国の利益追求を目的とした「アメリカファースト」の金融・貿易等、経済の一層の自由化、グローバル化の展開、軍事と密接に結びついた技術革新や法体系の強権的整備による情報化等が進展する中、日本で進められた教育改革が、現在どのような形で進められているのかを、高等学校、ここでは神奈川県立高等学校の多様化の象徴である「クリエイティブスクール」を例に考察する。戦後、「高校三原則」を柱として出発した後期中等教育の高等学校は、戦後復興、高度経済成長と生徒急増、低成長といわゆるバブル崩壊や高度資本主義の構造変化、生徒指導上の問題噴出、大学進学率の上昇そして生徒減少などで、その都度在り方が問われてきた。 通常は、その時々の政権が主となり、社会的要望や政策的意図などに初等中等教育が取り上げられることなどによる外圧的教育改革が進められ、教育現場に緊張を強いてきた。中でも高校の場合は、日本の資本主義体制の構造的変化に対応する従属変数として上からの改革が強いられてきた。一方、民間教育研究団体や教職員組合における教育研究集会や学習会などによって交流と研究を重ね(これは世界的にも珍しい教師集団による教育研究の歴史として高い区評価されている。)、生徒の発達要求や発達課題に応えようという現場からの内発的高校改革は、多くの優れた実践を生み出してきた。これは教育の本質に立ち、基本的人権の自己実現を支援するという立場による実践であり、国民を国民支配や経済への従属を強いる手段とする権力の意図を克服する国民的努力のあらわれでもある。それでも、中曽根内閣以降、繰り返された教師、学校攻撃は、私学ブームに見るように、東京などでは公立高校の凋落をもたらした。実際のところ、その本質は新自由主義による文教予算の貧困化と成果主義、メリトクラシー圧力による改革(改悪)のツケであるが、高校教育に関わる教職員にとって、また在学生やその保護者にとっては苦悩の日々であった。 近年、少子化の影響で生徒減が進み、かつて増設を繰り返してきた神奈川県でも、高校統廃合の課題が大きく浮上してきている。右肩上がりの時は、地域や保護者の要望に応じて全日制普通高校を増やしたり、工業高校や農業高校などでは新学科を増設したりすることで実業高校の魅力作りと生徒獲得への努力が重ねられたが、現在は、それらの高校の適正配置や存続問題が大きな政争に発展することもある政治マターとなっている。 いわゆる高校改革は、著名大学進学数の向上、学力競争以外の部活動や生徒会などでの活躍を競うようなメリトクラシー圧力が強く、「生き方在り方」と言いながら、一元的価値に収斂されつつあるのが実態である。いわゆる「スーパー・サイエンス・スクール」などが、それらを象徴している。一部のエリート高校に予算や人員を傾斜配分するやり方である。これは、戦後の全国総合開発計画の方式と同一の根を持っている。 しかしながら、高等学校多様化の中で、神奈川県は、より生徒に寄り添う学校像を模索しながら「クリエイティブスクール」を創設した。必ずしも学力競争や運動などが得意ではなくても、また、そうした競争の教育社会で傷ついた体験を持つ青年達に、学び直し、生き直しの場を提供しようとするものである。その意味では、生産力主義、経済市場主義とは異なる、個人の尊厳に基づいた高校教育の在り方を模索し、実践を重ねている教育機関である。生徒の多様性に向き合う高校として、その多様性が高度資本主義社会に適合的な能力主義による教育を克服する手立てを示す貴重な実践である。 競争の教育に巻き込まれない、「教育工場」(鎌田慧)ではない、「教育亡国」(林竹二)でもない高校教育の在り方を、神奈川県立釜利谷高等学校の実践から考察した。

収録刊行物

  • 科学/人間

    科学/人間 47 53-86, 2018-03

    関東学院大学理工学部建築・環境学部教養学会

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