仏教から見たソローと山頭火 : 色から音そして声へ

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タイトル別名
  • Buddhist ideas in the works of Henry David Thoreau and the poems of Santoka: on colour, sound, and voice
  • ブッキョウ カラ ミタ ソロー ト サントウカ : イロ カラ オト ソシテ コエ エ

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抄録

句作の立場から「自然」について,山頭火はどのように理解していたのか。山頭火にあっては(1)色の世界から(2)音の世界への移行があり,そして最後に(3)声の世界へとはいってゆく過程を意味する。言い換えると,まず最初に五感で感じ取った世界があり,次にその感覚,情緒を自我の執着から離れ,無欲・無我・無心に迄心が澄みわたり,最後に物,対象そのものと我とが完全に一つになること。つまり山頭火の中で自分と句とが一体となった境地になることを指す。それは悟りの境地でもある。それが山頭火の句作,魂の叫びであり,念願としていることでもあり,また覚悟の世界である。それは一句は一皮。その一句は古い一皮を脱ぐことを意味し,一句は一句の身心脱落,自己脱却(自己超越)であったのだ。ソローにおいては自然観察眼は自然科学者の如く鋭く研ぎ澄まして,少しの変化も見逃さない所に彼の特色なり持ち味があった。だが,山頭火の「日記」に従い,自らが〈理論構成〉と記す,俳句性からその本質部分を解釈する語彙によれば我の意識の移行は,「単純化・求心的→直観―冴え―凄さ」「生活感情・社会感情・時代感情のリズム」というコトバで表わされる。声の世界が見えてくるには「自己を忘ず」まで徹底行を要す。簡潔な表現で示せば,仏教とりわけ禅的語句〈即景即事即物即心〉〈即事而真,当相即道を体解せよ〉ということに尽きる。そうした観点からソローと比較して考察する。

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