円覚寺所蔵尾張国富田荘絵図の成立事情

書誌事項

タイトル別名
  • エンガクジ ショゾウ オワリノクニ トンダノショウ エズ ノ セイリツ ジジョウ
  • エンガクジ ショゾウ オワリノクニ トミタノショウ エズ ノ セイリツ ジジョウ
  • The History of A Manor Map of Owarinokuni Tondanosyou in 14th Century Japan

この論文をさがす

説明

本稿は、円覚寺所蔵尾張国富田荘絵図を手掛かりにパリア海退進行過程における沿海地域の海岸線の変化や土地利用の在り方等を考察するための前提作業として、絵図作成事情を明らかにしようとしたものである。この絵図の成立事情については、近年研究が進むに従ってかえって諸説分立が甚だしくなっている現状に対して、次の諸点を解明した。まずこの絵図研究史の検討により、今日の問題点は、この絵図が堺争論図要素と富田荘全領域図要素の二側面を備えているのに対して、今まで二者択一的判断の枠内で論議している所にあることを明らかにした。その上で、この絵図右下に貼り換えた部分があることを重視し、初め富田荘全領域図として作られたものが、後に一楊御厨余田方との堺争論の必要から論所部分を含む一紙を貼り換えて堺争論絵図に転用したものであることを明らかにした。さらにこの富田庄は通常の荘園常識とは違って内部には領家領と多くの国衙領とが含まれており、それらの内鎌倉時代に地頭請けを行なっていた区域に建物を描いている点に絵図の特徴を見いだした。そのような原図作成時期としては、鎌倉幕府滅亡後国衙領部分における地頭請の権利を剥奪した後醍醐政権に対して、一三三四年その権利の復活申請を行なった際である可能性が大きいことを明らかにした。そして足利政権成立直後一三三六年九月国衙領への地頭請権は回復されたが、その後余田方との堺争論も提起され、一三三六年末〜一三三八年初め頃の間に堺争論図への転用がなされたであろうことを推測した。

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ