スコットランド王国の宗教改革前夜 (1) : スコットランドの近代への途

書誌事項

タイトル別名
  • スコットランド オウコク ノ シュウキョウ カイカク ゼンヤ(1)スコットランド ノ キンダイ エ ノ ミチ
  • Era before the Reformation in the mid-16th century of Scotland (1) : On the Way to Modern Society

この論文をさがす

抄録

type:Bulletin

15世紀末から16世紀前半のイングランド王国やフランス王国の対立する国際情勢の中で,スコットランド王国のアイデンティティを模索した国王ジェイムズ4は,イングランド王国の支配や征服を回避したが,徐々にイングランド王国との一体化政策に飲み込まれていった。本稿では,宗教改革前夜のスコットランド王国の歴史的出来事からそのことを検証する。イングランド王国によるスコットランド王国の征服・併合策謀は,エドワード1世(在位1272年-1307年)やエドワード3世(在位1327年-1377年)時代からすでに現れていたが,しかし,スコットランド王国のイングランド王国からの第1次独立戦争(1306年から1328年まで)や第2次独立戦争(1329年から1377年ごろまで)でのスコットランドの勝利によって回避された。その両イングランド国王は,スコットランド王国に臣従を迫り,スコットランドを直接的に支配しようとした。テューダ朝においては,ヘンリー7世の治世下での経済力伸展に基づいて,ヘンリー8世のフランス侵攻戦略と呼応させ,イングランド王国による一体化攻勢がスコットランドに向けられた。1603年のジェイムズ6世(在位1567年-1625年)による同君連合や1707年のイングランドとスコットランドの議会連合によるイングランド王国とスコットランド王国の併合・一体化に到る萌芽がすでにヘンリー8世の永久平和条約とジェイムズ4世とマーガレット・テューダの結婚(1503年)に始まっていたことを提示する。国際情勢下におけるスコットランド王国とウォーベック問題に対するジェイムズ4世の外交政策とその後のジェイムズ4世のイングランドとの対応とフロドゥンの戦いについて概観する。最後に,ジェイムズ5世の政治体制の特徴を概説する。

論文

収録刊行物

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ