明治期における長崎県の捕鯨業 : 網取り式からノルウェー式へ

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タイトル別名
  • The Whaling Operation in the Nagasaki Prefecture during the Meiji Era : Changing from the Traditional Method to the Norwegian Method
  • メイジキ ニ オケル ナガサキケン ノ ホゲイギョウ : アミ トリ シキ カラ ノルウェーシキ エ

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抄録

本論は、捕鯨業の中心地であった長崎県における捕鯨業の近代化過程を明らかにし、捕鯨の事業地、事業主体、技術、成績と経営、及び捕鯨と植民地支配、水産政策、他の漁業との関係を考察したものである。長崎県は伝統的に捕鯨業の中心地で、網取り式漁法によって県北や離島で営まれてきた。幕末以来、鯨の来遊が減少して、網取り式の巨大な組織を維持できず、衰退した。それで、より少資本、少人数で操業できる鯨大敷網やアメリカ式銃殺法が取り入れられた。これらの漁法は鯨の沿岸回遊を待つ性格をもっており、ノルウェー式捕鯨が沖合で操業すると、衰退に拍車がかかり、明治30年代に消滅した。ノルウェー式捕鯨は明治30年に長崎市で始まる。ロシアの捕鯨船隊が朝鮮海で捕獲した鯨の肉を長崎港に輸出したことに刺激されて、貿易商、ロシア船隊で従事した者らが、地方有力者の資金を集めて捕鯨会社を設立した。その後、ノルウェー式捕鯨は政府の後援を得た山口県の捕鯨会社が先導し、朝鮮海への出漁、太平洋への漁場拡大によって急激に発達した。明治42年に乱立して捕鯨会社の合同と政府による捕鯨業の統制によって独占的な捕鯨体制が確立した。長崎市の捕鯨会社もこの企業合同に参加した。

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