奴隷共用菜園・野菜畑の歴史的展開及びその役割 : ―集団/共同奴隷耕作地の全体像解明に向けて

書誌事項

タイトル別名
  • The Common Vegetable Garden/Field for Slaves : Its Historical Development and Role
  • ドレイ キョウヨウ サイエン ヤサイバタケ ノ レキシテキ テンカイ オヨビ ソノ ヤクワリ シュウダン キョウドウ ドレイ コウサクチ ノ ゼンタイゾウ カイメイ ニ ムケテ

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抄録

論文(Article)

合衆国南部奴隷制下において奴隷主が奴隷に与えていた食料の一つに野菜類がある。この野菜供給問題に対して奴隷主が採った政策の歴史的展開を明確化すると同時に、特にアンティベラム期に普及した奴隷用野菜栽培地の形態、運営、その歴史的役割を析出した。奴隷主による配給食料政策は、1830年頃を境にそれ以前と以後とで大きな差異を見せた。1830年以前においては、経費節減を基本とする食料政策により対奴隷野菜供給は低水準で、その補完として奴隷自身の家庭菜園活動を強く促す傾向にあった。それがアンティベラム期に入ると、奴隷主、特に利潤指向型プランター階級の労働意欲刺激策の下で野菜供給政策が積極的に展開した。従来の野菜供給源であった「奴隷主菜園」の拡充のほか、より広い菜園が新たに設置されたり、大規模プランテーションにあっては主要商品作物(ステイプル・クロップス)用耕地中に菜園や種類別野菜畑が設けられた。これら菜園・野菜畑での奴隷労働は半自律的協働ともいえる緩やかなものだった。菜園、特に野菜畑は、奴隷自身の耕作地へと変容・転化する可能性を秘めた、いわば擬似的集団/共同奴隷耕作地と位置付けられよう。

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