熊本県南小国町における学校林の存続要因

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タイトル別名
  • クマモトケン ミナミオグニマチ ニ オケル ガッコウリン ノ ソンゾク ヨウイン
  • Why Have School Forests Remained in Minamioguni Town, Kumamoto Prefecture?

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抄録

昨今、学校林は環境教育の場として注目されているが、学校のための財産として利用、管理し続けられているものも国内各地に依然として残されており、環境教育の場として学校林を活用する際にもそのような財産としての学校林を守り続けた地域社会からの知見が求められている。そこで、本稿では明治期に設置され現在まで存続してきた、南小国町における学校林を事例としてとりあげ、1)村落構造、2)管理組織、3)伐採収益、の3点からその存続要因を探ることを目的とした。明治の町村制以来、町の村落構造は変化していない。すなわち、まず共同する内容に応じて集落をまとめる部落、牧野組合、造林組合が最小単位にあり、次の単位として校区があり(市原ではその間に班がある)、これが市原、中原では大字と一致し、満願寺、星和、黒川では3校区が一つの大字に包含されている。これらすべてをまとめる役割を町が担うという構造が続いてきた。主として明治末期から大正初期にかけて部落の篤志家が寄付した原野に樹栽することで設置された学校林は、町(当時は村)に所有名義を変え、学校ごとに組織される後援会により管理・経営され、校舎建築をはじめ様々な学校施設や学用品購入の資金を産み出し続けてきた。学校林は、名義上は町によって所有されているものの、実質的には後援会によりすべての権限が掌握されている。後援会は、校区内の部落代表者によって組織される校区全戸加入の組織であり、部落と町をつなぐ役割をもつ。したがって、校区には、校区民総出で行われてきた学校林の管理・経営を通じて単なる通学区域では生じえない紐帯が築かれている。このような学校林の存続要因として、1)部落、校区、町による三重の村落構造が明治期より現在に至るまで変化することなく維持されたこと、2)学校林のために財産を寄付した篤志家を中心に校区全戸による管理組織である後援会が歴史的に形成され、部落からの意見を反映した管理・経営の主体として維持されたこと、3)大径木の間伐による定期的な伐採収益を元に、学校やPAの要望に沿った助成金が毎年支弁されたこと、が挙げられる。

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