ラフカディオ・ハーンと医薬:癒しと救い③:溺死する女

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  • ラフカディオ ・ ハーン ト イヤク : イヤシ ト スクイ(3)デキシ スル オンナ

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抄録

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「1.は じめに」  ラフカディオ・ハーン(1850~1904)の代表作である『怪談(Kwaidan)』は,ハーンの没年となった1904 年の4 月,ホートン・ミフリン社から出版された。ハーンはこれを喜び,6 月には坪内逍遥に一部を献呈している。この時期のハーンは,前年の帝大解任の失意から立ち直り,早稲田に招聘され,3 月から7 月にかけて英文学史と詩人批評を講じながら,逍遥の知遇を得て日本の演劇を英語圏に翻訳紹介したいという新たな希望を抱いていた。また,アメリカやイギリスの大学から,日本についての講演や講義を依頼されることも一度ならずあった。残念ながらこれらの新たな展望は,ハーンが9 月に急逝したことにより中断されてしまったが,結果的に『怪談』が,ハーンの生前最後の出版物となったことはある意味象徴的でもある。  ハーンは『怪談』というタイトルを,英訳せずに当時の発音そのままに『Kwaidan』とした。日本語のわからない欧米の読者にとっては,表紙を一瞥しただけでは,いったい何のことなのかわからないという謎めいたタイトルである。表紙をめくるとようやく,「不可思議なことどもの物語と研究(Stories and Studies of Strange Things)」という副題が目に入り,「怪談」とはどのようなものなのかが想像されることとなる。 日本人の心性を知るためにはこのような物語から日本人が何に「おそれ」を抱くのかということを知るのも一つの方法であり,前書きによってハーンがそれを企図したことが明かされる。ハーンはさらに前書きのなかで,「怪談」を「奇妙な物語(Weird Tales)」とも述べている。このような不可思議かつ奇妙な物語は,19 世紀欧米で流行した幻想小説の流れをくむものでもあり,フランスでいえばシャルル・ノディエ(1780~1844)に端を発し,オノレ・ド・バルザック(1799~1850),テオフィル・ゴーティエ(1811~1872)と続く系譜がある。余談ではあるが,ヘルン文庫にはこれらの作家の作品が収められており,とりわけゴーティエの作品にはおびただしいメモ書きがあって,ハーンが愛読した形跡が認められる。ハーンの処女出版物が,ゴーティエの短編小説のいくつかを集めたものであることを記憶しておいてもよいだろう。英語圏では当然ながらエドガー・アラン・ポー(1809~1849)の奇譚の数々に関心を抱き,ヘルン文庫にもその全集が収められているほか,東京帝国大学での講義でも熱心にポーについて語るハーンの姿を見出すことができる。  今回は,ハーンの名を不朽のものとした「怪談」あるいは「奇談」からいくつかのエピソードを紹介し,ハーンが英語圏の読者に対して日本人の心性を理解させるために,なぜ,「滑稽譚」のようなものではなく,もっぱら「怪談」を紹介しようとしたのかについて考察してみたい。それが日本人固有のものであっても,読者である欧米人にとって理解可能なもの,納得の行くものである必要があるだろう。ハーンが「怪談」を紹介することによって読者に求めたのは,あまねく人間にとって,いったい何が「おそれ」を抱かせる要因なのか,ということを問いかけることだったのではないかと思われるからである。  このような「怪談」「奇談」のなかでとりわけ鮮やかに描き出されるのは,男女の別でいえば女性である。 「ろくろ首」や「むじな」に登場する「化け物」が滑稽味を帯びた「男」であるのに対して,「女」とりわけ「死美人」すなわち「幽霊」は,「おそれ」を抱かせる動機としてハーンの物語の随所に登場する。それを一言でいえば,西洋の伝承の彼方からほのかに立ち上る「幽霊妻」の系譜に連なる女性たちであり,実は典拠のわからない「雪女」もまた,この系譜に位置づけられる存在であるように思われるからである。

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薬学図書館, 65(1), Page 21-26

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  • 薬学図書館

    薬学図書館 65 (1), 21-26, 2020-01-31

    日本薬学図書館協議会

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