南北朝から室町期の矢野荘における東寺衆中と給主

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タイトル別名
  • ナンボクチョウ カラ ムロマチキ ノ ヤノソウ ニ オケル トウジ シュウ チュウ ト キュウシュ
  • ナンボクチョウ カラ ムロマチキ ノ ヤノショウ ニオケル トウジ シュウチュウ ト キュウシュ
  • On the Relationship between the Monk Group (Shuchū) of Toji

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説明

本稿では、先行研究で十分に注目されていない給主という職の分析を通じて、南北朝期から室町期の東寺衆中による矢野荘支配の特質を明らかにしようとした。分析の結果、1.南北朝前期(14世紀前半)には衆中が給主に荘務を委任する体制がとられた、2.しかし南北朝後期(14世紀後半)の永和強訴と呼ばれる荘内の事件が起きた時期に衆中が次第に給主の諸権限に介入していった、3.永和強訴後も衆中の荘務への関与が強まり、室町期(15世紀前半)には衆中が荘務を主導する体制が確立した、ことが明らかになった。その結果、先行研究の、南北朝期を通じて東寺の矢野荘支配が崩壊したとする説、あるいは南北朝前期に東寺の矢野荘支配は確立してその後も安定・停滞したとする説はともに成り立たないことがわかった。東寺衆中の矢野荘支配は14世紀後半から15世紀前半にかけて衆中が荘務を主導する体制が続き、それこそ室町期の支配体制と位置づけられるのである。

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