日本語表現にとって「やさしい日本語」が持つ意味

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タイトル別名
  • Some Implications Yasahii Nihongo Bears for Enriching Expressions in the Japanese Language
  • ニホンゴ ヒョウゲン ニ トッテ 「 ヤサシイ ニホンゴ 」 ガ モツ イミ

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抄録

本稿では,「やさしい日本語」の全体像を概観し,「やさしい日本語」がマジョリティの日本語母語話者にとって持つ意味を日本語表現との関連で論じた。「やさしい日本語」使用が日本語母語話者の日本語能力を下げるという批判に対し,そうした批判の背景にある「難しさへの信仰」という心的傾向と,日本母語話者の日本語能力向上のためにそうした信仰を捨て自らの考えを論理的に表現できることを評価する方向に日本社会が変わる必要性を述べた。そうした方向性は特に専門家が非専門家に説明する場合に必要である。専門家が日本語母語話者ならわかる日本語で説明できるようになった場合,それを中間言語としての「やさしい日本語」(plain Japanese)と呼び,これまでの「やさしい日本語」(easy Japanese)と区別する必要がある。また,今後の日本社会で日本語が「国際英語」に対応する「国際日本語」に変容する可能性も考察した。

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