ジュニャーナガルバの『二諦分別論』とダルマキールティのプラマーナ論 : 後期中観思想の形成(4)

書誌事項

タイトル別名
  • ジュニャーナガルバ ノ 『 ニテイフンベツロン 』 ト ダルマキールティ ノ プラマーナロン : コウキ チュウカン シソウ ノ ケイセイ(4)
  • Jñānagarbha’s Satyadvayavibhaṅga and Dharmakīrti’s Pramāṇa Theory

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説明

以下、ダルマキールティの理論を初めて活用、批判した論師であるジュニャーナガルバの二諦の峻別基準を探求する。『二諦分別論』SDK4において、三条件を具えた立証因により導かれた推理知は欺かない故、勝義であるとの見解に対し、それを実世俗と位置付ける。そこにはプラマーナに関して勝義と実世俗との対立軸が知られる。SDV ad SDK9-11において遍計された実としての生起等の否定に関する論議、及び所取能取を欠いた依他起を真実(対比されるものの有を表す相対否定)と見るか、実世俗(否定のみの単純否定)と見るかを巡りディグナーガとの論議が見られる。SDK17-19では遍計されたものの否定の推論の成立に関しダルマキールティによりPVSVに表される分別知における顕現をダルミン、ダルマ、喩例とする方法を活用するが、この場合も二諦を巡る論議が表わされる。SDK8において正しい直接知覚を実世俗、学説により増益されたものを邪世俗とし、SDK12においては、水と蜃気楼とを具体例とし、欺かない結果が獲得される場合を実世俗、欺きがある場合を邪世俗とする。それは正しい推理か否かを基準としている。SDK8、12における実世俗と邪世俗との峻別の基準はダルマキールティのプラマーナ論にある。このことが『二論分別論』の根幹であり、その後、後期中観派の伝統を形成するものとなる。他方、勝義としては直接知覚を有形象知、無形象知、自己認識の点から論難し、推理に関してはアポーハ論に基づく因果論を因果間の区別と無区別との随伴関係の不成立を根拠に論難し、勝義は一切の生、不生、空、不空を離れた無戯論というナーガールジュナ以来の中観の伝統に立脚する。またSDK6、24ではディグナーガと繋がりのある瑜伽行派の論師、トリラトナダーサの無形象知識論が論難され、それは形象虚偽論としてMAK60でも論難される。

ジュニャーナガルバ

『二諦分別論』

ダルマキールティのプラマーナ論

非実在の否定

トリラトナダーサ

identifier:BR010400010427

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