地方からみた救護法の制定 : 鳥取県を例に

書誌事項

タイトル別名
  • チホウ カラ ミタ キュウゴホウ ノ セイテイ : トットリケン オ レイ ニ
  • A Study of the Establishment of the Poor Relief Low from a Local Viewpoint: The Case of Tottori Prefecture

この論文をさがす

抄録

従来、救護法(1929年公布、1932年施行)の研究は中央レベルで分析されたものが多く、地方に視点をおいて検討されることはほとんどなかった。本稿では鳥取県を例にして、救護法制定過程における県と村の動向を明らかにする。県では救護法制定以前から近代的な貧困認識が芽生えはじめていたこと等もあって、救護法の制定は歓迎すべき出来事であった。その一方で村レベルに目を転じてみると、全体としては救護費、救済件数ともに伸びているものの、村の支出という点からみると従前並であった。この理由として折からの不況と重なって村の財政が逼迫していたことと、「隣保相扶」の強さゆえ救済を避ける傾向があったことが考えられる。救護法は通説が示唆する通り明治期の救貧体制から脱しきれず、それは村から見ても同様であったと言えるかもしれない。

救護法

鳥取県

下北條村

identifier:FO001500009263

収録刊行物

関連プロジェクト

もっと見る

キーワード

詳細情報 詳細情報について

問題の指摘

ページトップへ