限定合理性 : その進化と哲学的意義

書誌事項

タイトル別名
  • ゲンテイ ゴウリセイ : ソノ シンカ ト テツガクテキ イギ
  • Gentei gōrisei : sono shinka to tetsugakuteki igi
  • Bounded rationality : its evolution and philosophical significance

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抄録

type:text

「個人は合理的であろうと意図するが, その合理性は限定されている」と一般に解釈されている限定合理性の概念が, サイモンによって示されてから, その用語を用いた研究が, 多くの分野で多くの研究者によって展開されている。限定合理性の議論は, はじめはマーチ, サイヤート, ウィリアムソンといったカーネギー学派やその影響を受けた経営学者や新制度派経済学者を中心に展開されていた。科学哲学者であるラトシスは1972年の論文で, サイモンたち限定合理性を主張するカーネギーの研究等を経済的行動主義と名づけ, 新古典派ミクロ経済学に対する新しいライバルとみなした。合理性原理を用いた新古典派経済学を中心とする従来の状況決定論的プログラムに対し, 経済的行動主義は, 満足化基準や限定合理性を用いた心理主義的研究プログラムと位置づけられたのである。しかし限定合理性の解釈に関しては, サイモン, マーチ, ウィリアムソン, ティースの中でも明らかな相違がみられる。それのみならず, 利潤極大化を標榜する新古典派経済学者の中でも, サージェントといった合理的期待形成学派の研究者が, 限定合理性を採用すると主張するようになった。また, 以前からケインズやナイトといった経済学者も, 完全合理性の妥当性について明確な疑義が提示されてきたという経緯もある。この問題状況において, 「行為者が自ら置かれた状況に対して合理的に行為を行う」と仮定する状況決定主義と, 「行為者の心理的性向が行為を決定する」という仮定の経済的行動主義とのラトシスによる二分法だけでは, 限定合理性の概念を適切に理解することが難しくなっている。当稿では, 限定合理性の概念をこれとは異なる視点から検討する。ここで注目するのは, 世界は決定されているのか, 決定されていないのかという, 決定論に対する非決定論の形而上学的・科学的レベルでの議論である。われわれの合理性が限定されているのは, ただ, われわれの知識が不足しているためなのか, もしくは, 世界自体が決定されていないためなのか, という議論である。この点に関して, デイビッドソン等のポスト・ケインジアンの研究者たちが, エルゴード性の観点からこの決定論・非決定論と類似した議論を進めている。本来, デイビッドソン等が目指すのは, 均衡体系を仮定する主流派経済学との対比を通して, ポスト・ケインジアンの主張の正当性を示そうというものであり, その妥当性について批判が無いわけではない。当稿では, 彼らの議論を限定合理性の進化を見るための1 つの視点として用いることにより, 限定合理性が, 単に個人の知識の欠如に関わる問題だけなく, 社会・経済世界自体の決定論的性格とも結びついていることを示す。さらに, サイモン, ウィリアムソン, ティース, そしてサージェントといった研究者のそれぞれの限定合理性について, 以上の視点からも考察を加える。

堀越比呂志教授退任記念号 論文

収録刊行物

  • 三田商学研究

    三田商学研究 63 (4), 19-33, 2020-10

    慶應義塾大学出版会

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