百花斉放・百家争鳴期の社会学者の発言に対する反右派闘争での批判(1)

書誌事項

タイトル別名
  • ヒャッカセイホウ ・ ヒャッカソウメイキ ノ シャカイガクシャ ノ ハツゲン ニ タイスル ハン ウハ トウソウ デ ノ ヒハン(1)
  • Critiques of The Anti-Rightist Struggle against the Remarks of Sociologists during The Hundred Flowers Blossom and The Hundred Schools of Thought Contend (1)

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抄録

1949 年10 月の中華人民共和国の成立以来,中国では社会学の教育と研究は漸次調整され,禁止され,タブーになっていった。しかし1956 年5 月-57 年6 月の百花斉放・百家争鳴期に,民国期に社会学に携わった少なくない社会学者から社会学の復活の提言があったが,それも1 年余りのことであり,1957 年6 月の反右派闘争以後,1979 年3 月まで中国では社会学が途絶えた。この小論は,百花斉放・百家争鳴期の社会学者の発言が反右派闘争でどのように批判されたかをみたものである。その批判の要点は,社会学の復活を提言する人びとに対して反共産党,反社会主義,反人民,反マルクス=レーニン主義だとしたことである。社会学の教育・研究の廃止および禁止はもとより,百花斉放・百家争鳴の提唱,それに続く反右派闘争もすべて党の政策次第であったという事実をこの小論において資料に基づいて明らかにできた。百花斉放・百家争鳴期の社会学者の発言である費孝通の「社会学のために語る」(1957),「『争鳴』月刊が開催した座談会での費孝通の発言」(1957),呉景超の「新中国で社会学の地位はまだあるのか」(1957),「民主党派の提案のレベルを高めよう」(1957)については,すでに訳出しているので参照願いたい(1)。なお,この小論は規定の紙幅を超えるため分割掲載することとし,この論集の次号75 号(2022 年9 月刊行予定)に「百花斉放・百家争鳴期の社会学者の発言に対する反右派闘争での批判(2)」として掲載予定である。

中国社会学史

百花斉放

百家争鳴

反右派闘争

ブルジョア社会学

identifier:SO007400011139

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