連合国教育相会議関係資料についての一考察

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  • レンゴウ コッキョウイクソウ カイギ カンケイ シリョウ ニ ツイテ ノ イチ コウサツ

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本稿は,第二次世界大戦中にロンドンで継続的に開催され,後に国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)へと発展することになる連合国教育相会議に関する資料について考察する。ナチスドイツやその同盟国に占領された国々は,次々とロンドンに亡命政権を樹立した。戦闘が続く中,終戦後を見据えてその復興に向けた動きが始まるが,1942年からイギリスの呼びかけによって,教育分野における復興計画の策定を模索する会議がロンドンで開催されることになる。それが連合国教育相会議である。その中心となる資料は,開催地であるロンドンにおいて作成され保存されたが,後にその多くが,会議の後継機関となったユネスコの本部所在地となるパリに移され,現在はユネスコ本部内に設けられたユネスコ文書室に所蔵されている。

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