会津八一 叱る教師の真実 ―「學規」を中心として―

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  • Yaichi Aizu 会津八一, A Portrait of a Strict Teacher

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秋艸道人会津八一(1881 -1956)は、『法隆寺・法起寺・法輪寺建立年代の研究』(1933)の古代美術史家、『鹿鳴集』(1940)などの歌人、『渾齋近墨』(1941)などの書家として知られるが、彼は長年早稲田中学、および早稲田大学の英語、英文学教師また東洋美術史の主任教授として研究教育の場にたずさわってきた。彼が元来俳句作家、評論家として出発し、教壇にあっては、学校の名物教師として多くの子弟を育てた功績がある。彼が弟子たちに与えた「學規」四箇条は、単なる学生たちへの訓戒以上に、八一自身の人生や芸術の自らへの指針であった。本論は、その四箇条をつぶさに検討して、従来テクストそのものとして十分に分析されてこなかった文章を味読し、その目指すものを検討した。そして彼の最晩年の作歌である四国屋島に戦後新しく鋳られた八栗寺の鐘銘について、その文学的意義を「學規」と照らし合わせながら分析し、八一における文学の大成としての鐘銘として位置付ける。

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