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抄録
江戸時代中期18 世紀以降、唐船貿易により長崎に来舶した中国人の中で絵を画くことに秀でた人々を「来舶画人」と称する。長崎の社会的特殊性と地理的特殊性が、新興画派としての長崎派の誕生に貢献した。長崎派は中国の美術文化が日本各地に移転するための機能を果たした。長崎派の中に南蘋派がある。同派の創始者・沈南蘋は純粋な芸術家で、自身の絵画の技量が認められることを期待して渡日した。その承認欲求は、文化的供給者としての沈南蘋の文化移転に影響を及ぼした。南蘋派は大坂、京都、江戸に其々派系が存在した。南蘋派の日本人画家は、他画派の長所を吸収しながら同派を活性化させ市場に浸透させていった。来舶画人の大量来日(1720―1859 年)は、沈南蘋来崎以降に集中している。沈南蘋の中国、長崎における多方面での成功例が、大きな影響を与えたと考えられる。来舶画人がもたらした各画派の多様性は、長崎派や日本画壇に直接的に影響を与えた。
収録刊行物
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- 創価大学大学院紀要 = The bulletin of the Graduate School, Soka University
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創価大学大学院紀要 = The bulletin of the Graduate School, Soka University (45), 47-62, 2024-03
創価大学大学院
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050299528251873024
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- NII書誌ID
- AN00133894
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- HANDLE
- 10911/0002000136
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- ISSN
- 03883035
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB