[論文] 近江源氏佐々木氏の「西遷」(近江回帰)について : 佐々木京極氏・佐々木朽木氏を中心に (第三部 西遷武家領主論)

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タイトル別名
  • [Article] About the Omi-Genji Sasaki Clan’s “Seisen” (Return to Omi) : Case Study of Mr. Kyogoku Sasaki and Mr. Kuchiki Sasaki (Part III : The Theory of Moving Warrior Lords to the West)

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抄録

本稿は、近年注目されている中世武士団の「西遷」「北遷」の一事例として、中世成立期から全般にわたって族的発展をみせた佐々木氏一族について、その「西遷」の様相を解明せんとするものである。武士団の「西遷」「北遷」とは、鎌倉末~南北朝期にわたり主に東国に出自をもつ武士団が、結果的に本拠を西国あるいは北(東北)国へと移す現象をさす。 鎌倉時代の武士団は、近年「分業論」の視角導入により、一族を列島各地の所領に配置し、その連携とネットワークにより支配を維持していた様相が明らかになった。その延長上に、「西遷」「北遷」が存在する。それは広域的な所領を地域的に集中させて、新たな地域支配へ向かう過程でみられる現象であり、その実態と要因を解明することは、武士団の支配の深化を考察する上で不可欠の課題である。通常「西遷」「北遷」は東国武士にみられる現象だが、本稿の対象とする佐々木氏は、平安時代以降近江国に本拠を持つ西国武士団であった。しかし平氏政権により本拠を追われ東国の渋谷氏のもとに寄寓している最中に、治承寿永の内乱を迎える。その結果、鎌倉幕府の成立に深く貢献し、源頼朝の信頼を得ることで、東国を基盤とする武士団として再生するという稀有な歴史を生きた武士団である。そして東国に基盤を持ちつつ近江や西国所領に多くの同族を輩出していたが、やがて南北朝内乱以降、その主要な一族は近江に「西遷」し、戦国期に至る地域支配を展開する。いわば彼の「西遷」とは、近江回帰なのであり、その特色ある動向は特筆される。そこで本稿では鎌倉期の同族的展開と東国・西国の所領支配と政治的地位を検討し、さらに佐々木京極氏(有名な導誉)、佐々木朽木氏という同族の間でもタイプと規模の異なる一族をとりあげて、その個々の特色を検討するものである。

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