「ある五十路男の日記」における因習と近代的パラダイムの相剋 : -日記に隠されたジェイムズの仕掛け-

書誌事項

タイトル別名
  • 「アル イソジ オトコ ノ ニッキ」 ニオケル インシュウ ト キンダイテキ パラダイム ノ ソウコク : -ニッキ ニ カクサレタ ジェイムズ ノ シカケ-
  • A Conflict between Convention and Modern Paradigm in “The Diary of a Man of Fifty": : Jamesian Plots Hidden in the Diary

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抄録

Henry Jamesが30代中頃にして50代の男の回想をテーマとして執筆した短編作品「ある五十路男の日記」(“The Diary of a Man of Fifty" 1879)における語り手、母娘の関係にある二人の伯爵夫人、および若きイギリス人との邂逅の背景にある、因習と近代的パラダイムの相剋について検討することが本論文の目的である。四半世紀ぶりにフィレンツェを再訪し芸術と古き恋に思いを馳せる五十路男の近代的かつ利己的な視点やanalogyの性質を検証しつつ、フィレンツェの因習に囚われるfemme fatale的女性に関係した複数の伯爵の死、語り手のalter egoたる若者の語り手との類似性、およびその婚姻の性質について考察する。なかでもエピソードとして読者を引きつけるであろう旧社会における「決闘」の意味についても検討を加えながら、若き恋から逃亡し国外脱出を図った語り手が、その過ちに気づき後悔の叫びへと至るという一見凡庸に見える結末が、実は読者を誤り導くための策略であることも併せて解明していく。

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