19世紀日本における養生論の展開

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  • Development of Health Care Theory in 19th Century Japan

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抄録

わが国の養生論は、貝原益軒(1630-1714、以下は益軒)の『養生訓』(1713 年刊)以来、今日に至るまで繰り返し取り上げられている。益軒の養生論は、19 世紀において、江戸期には中国医学に基づく医学派から影響を受け、明治期には西洋医学に基づく衛生論や健康観から影響を受け、変容していった。本稿はその変容過程をたどり、歴史的な脈絡や社会的な環境によって養生論が変容したからこそ、養生概念が定着していったことを明らかにした。 18 世紀後半から養生論に関する著作が増加した。これらの著作には後世派と古医派の影響がみられ、その影響は19 世紀になって強くなった。とくに自然認識に変化がみられた。この変化によって、人間とそのあり方、とくに生活への関心を深めることになった。これによって江戸中期までの長寿願望が消え、生活の充実が強調されるようになる。そして養生概念の拡大がみられ、その多義化が起こった。 多義化に拍車をかけたのが、西洋医学の影響であった。そして明治期の養生論は西洋医学と儒医学の折衷性ないし混合性をもち、養生論は健康概念と置き換わっていった。養生論は予防という面が強調され、衛生概念と同義的に用いられるようになり、養生論と衛生論は共存した。しかし、感染症の流行が起こり、個人の養生では対応できなかったので、国家による衛生行政が現われ、個人の健康と国家の発展が関連付けられるようになった。社会進化論の影響などもあって、健康は富国強兵策の一環ととらえられるようになった。

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