天武と火徳

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  • Tenmu and Fire virtue

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抄録

壬申の乱において、天武軍は赤をシンボルカラーに戦った。通説によれば、天武が漢の高祖(劉邦)に自擬し火徳を自認したゆえという。後漢初に五行相生説にもとづき漢が火徳であると確定した。火徳の色は赤だから、天武はこれをふまえたのだ。問題はその意図である。なぜ劉邦に自擬し火徳を自認したのか。通解によれば、天武が近江朝を金徳の秦に見立て、五行相勝説によって自軍の勝利の必然を演出したという。しかし漢火徳説は相生説による立論であり、天武が相勝説によったとは考えにくい。私見によれば、天智の周公への自擬から、天武が近江朝を周と同様の木徳とみなしたゆえと考えられる。相生説の五徳の次序は木火土金水であり、漢火徳説は秦を閏位として正統の列から除くので、漢火は周木を継ぐものと位置づけられる。近江朝から天武朝への移行は、この周から漢への相生的な継承に擬定されるのであり、ここに天武の意図があったと推定される。また漢火徳説は、劉邦の祖を堯とみとめ、漢を火徳の堯を継ぐものと位置づける。天武が火徳を意識したとすれば、劉邦だけでなく堯も視野に入っていた可能性がある。

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