日中軍事協定の廃棄について
説明
一九一九年(中華民国八年、大正八年)の五四運動が、中国近現代史上にあって、時代を画する重要な意義を有することについては論をまたないであろう。それは一五年の日本の二十一ケ条要求、世界大戦への中国の参戦・勝利、戦後のヴェルサイユ会議での中国の要求拒絶、という背景の中で発生したものであるが、より直接的には、その前年の一八年五月に、日中間に締結された日中共同防敵軍事協定に対して、帰国在日留学生を中心とした学生や各界が反対運動を展開していたことが、その一つの基盤をつくった。このことについては前稿でふれ、それが五四運動と直接関係のある連続上にあること、五四運動の前奏であることの意義を論じた。日中軍事協定締結が五四運動の舞台をつくった訳であるが、その際、帰国在日留学生らはその調印拒否を、締結後は廃止を、或いは秘密協定であったものの公表を要求した。もとよりそれらの要求は納れられないまま五四運動に突入した。小論は、世界大戦も既に終結し、軍事協定の必要性もなくなり、五四運動という反帝・反封運動の中で、軍事協定の存廃問題が如何なる経過を辿ったかをみようとするもので、その廃止への過程を素描せんとするのが目的である。
収録刊行物
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- 奈良史学
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奈良史学 (4), 23-37, 1986-12-01
奈良大学史学会
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050300533202379264
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- NII論文ID
- 120002662287
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- ISSN
- 02894874
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB
- CiNii Articles