北海道の「開拓者」を名望家として捉え直す : 札幌郡豊平村の阿部与之助による拓殖事業
書誌事項
- タイトル別名
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- Reconsidering Hokkaidoʼs “pioneers” as “gentry”
- ホッカイドウ ノ 「 カイタクシャ 」 オ メイボウカ ト シテ トラエ ナオス : サッポログン トヨヒラムラ ノ アベヨユキジョ ニ ヨル タクショク ジギョウ
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説明
本論文の目的は、これまで北海道の「開拓者」として定義されてきた人物を、北海道の名望家として再定義し、北海道の歴史における名望家の特徴を検討することである。そのために、現在の札幌市豊平区の「開拓者」として知られてきた阿部与之助を取り上げた。与之助は、現在の山形県酒田市北俣の貧しい農家の三男として生まれた。札幌郡豊平村(現在の札幌市豊平区)に移住した後は商家の経営に成功し、それを元手に土地を取得して巨大地主へと転身し、多くの小作人を抱えるようになった。大規模な植林事業も起こした。道路や橋梁、役場、小学校、消防などの設立に多額の寄付をした。豊平村の総代人も長く勤めて村政に貢献した。また、自身がこの任にあたれないときには、養子の幣治に総代人を勤めさせ、村政に関った。彼は災害の被災者や貧困層の支援にも尽力した。このような与之助の事績は、北海道における名望家と定義して差し支えないであろう。与之助のような名望家が災害被災者や貧困者の救済に尽力した背景には、国が貧困層への支援を民間の有力者に丸投げしたことがある。与之助が道路や橋梁の整備に尽力したこと理由は、公衆の利益のためであるとともに、与之助自身の農業・林業経営のためという側面もあった。しかし、特に小学校の設置拡充などは、子供のいない与之助に資するところは少なく、まさに公衆の為であったといっていいだろう。一方では、教育の現場を通して、近代天皇制度が村落社会の中に定着したことも事実である。与之助のような名望家たちは、天皇制と村落社会を媒介する役割も果たした。最後に、北海道の名望家の特徴にはどのような特徴があるか、与之助の事例から考えよう。北海道の名望家の特徴の一つには、江戸時代から続く地縁的連続性がない者が多いことにある。これには、明治政府は、アイヌによる従前の土地利用を一切考慮せずに、入植者に土地を引き渡したことがある背景にある。また、北海道では地方自治が本州以南と比較して限定的にしか認められておらず、名望家の地方自治への参与も限定的となった。このことも、北海道の名望家の特徴の一つである。
収録刊行物
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- 北方人文研究
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北方人文研究 18 177-206, 2025-03-25
北海道大学大学院文学研究院北方研究教育センター
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詳細情報 詳細情報について
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- CRID
- 1050303932806488192
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- NII書誌ID
- AA12313676
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- HANDLE
- 2115/94491
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- NDL書誌ID
- 034068979
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- ISSN
- 1882773X
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- 本文言語コード
- ja
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- 資料種別
- departmental bulletin paper
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- データソース種別
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- IRDB
- NDLサーチ