ジョージア問題と西ヨーロッパ諸国の対ロシア宥和政策

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タイトル別名
  • Georgian problems and the Western appeasement policy towards Russia
  • ジョージア モンダイ ト ニシヨーロッパ ショコク ノ タイ ロシア ユウワ セイサク

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抄録

ジョージア(ロシア風のグルジョアではなく、この名称を使用する理由についての説明は、本文註2を御参照願いたい)に対するロシアの政策をみるとき、今日のロシアとかつてのソ連時代の類似性に驚かされる。ソビエト連邦はそれを構成する各民族の、平等、主権、自由な発展、分離独立などの自決権を認めていたのであるが、実際にはこれら諸民族をロシアの下に画一的に統一することに重点が置かれた。その中心となるのが、共産党の存在であり、同党は強力な権力機構を築き、その下に支配を維持してきた。支配下にある民族の独立は実際には認められなかった。  ソ連が崩壊した今日のロシアで、民族問題は解決されたであろうか。この問題が拙論で取り上げた2008年8月に勃発したジョージアとロシアの戦争の問題である。ジョージアがロシアから分離して EUにあるいはNATOに加盟したいと考えることは、全くジョージアの問題である。しかしそのことがロシアには放置できない。ロシア旧ソ連邦内のいかなる民族の独立も許さないし、自主的な動きも認めない。影響力を行使し、支配を続け自己の権威を高めたいと考える。  特に神経を尖らせるのが、アメリカの存在である。アメリカが戦争を望む勢力であり、ロシアは平和の維持勢力であるとの宣伝を行い、被害者としての立場を強調するところも、ソ連時代と同様である。ジョージアとの間の戦争にロシアが最大限の力を行使したのは、その背後にアメリカの姿を見るからである。  ジョージアをめぐるロシアとヨーロッパの関係をみて感じさせる他の一点は、第二次大戦前のドイツを巡る関係に類似していることである。当時ドイツが提出してくる様々な問題に、ヨーロッパの主要国は対処することができず、ただ妥協と譲歩を繰り返すのみであった。そうすることが平和のためであると誤解していたのである。しかしながらドイツ側は、西側諸国と妥協するつもりはなく、最終的に両者の対立は不可避となった。  戦前と異なってヨーロッパは統一されEUあるいはNATOという組織が成立しているにもかかわらず、類似しているのはヨーロッパ主要国の対応の遅さ、ことに当たっての決断力のなさ、いわゆる小国の運命にたいする冷淡さである。  ナチスドイツにたいしては対話も妥協も通じなかった。それは、互いに相手の行動原理を認めさせるかどうかの問題であった。今日のロシアとの間で「対話」なるものが可能であろうか。国際的には周辺諸民族に対する圧迫、国内では人権の侵害、政府を批判するジャーナリストの暗殺、などの現象を見たときに、双方が歩み寄って妥協点に達するということは極めて困難であるように思える。

1.はじめに 2.ジョージア・ロシア間の対立の歴史 3.「バラ革命」とサーカシュヴィリ 4.ジョージア・ロシアの5日間戦争 5.ロシアの意図 6.EU諸国の対ロシア政策 7.まとめとして

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