Metastory in Nadja of André BRETON

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  • アンドレ・ブルトンの『ナジャ』におけるメタ物語の存在
  • アンド レ ・ ブルトン ノ 『 ナジャ 』 ニ オケル メタ モノガタリ ノ ソンザイ

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アンドレ・ブルトンの『ナジャ』は表面的に見ればブルトンとナジャの出会いと別れの物語として捉えられるのであるが、1928年の初版に対して手を加えた1962年の改訂版に新たに付け加えられた「序言」には記述に代えて写真図版を揷入していると明言しているにも拘らず、ナジャの写真がないという点に注目し、それを本論考の出発点とした。第一部においては、テキスト自体をブルトンによるナジャへの診断記録として、本人に写真は不要であること、また自己同一性の観点からラカンを引用してブルトンがナジャに取って代わったためナジャが消滅したこと、ナジャは人物としてではなく対象aという空白を意味しているとして、その理由を明らかにした。また第二部においては、そこから導き出されるメタ物語の存在とその内容について言及した。ナジャは消滅することによってラカンの言う大他者としての視線に取って代わられたこと、ブルトンの欲望は対象aとしてアヴィニョンという街を指向すること、ブルトンは実はナジャと別れたいという欲望を持っていてナジャの消滅した後の空白を埋めることこそが欲望であるということ、しかしそれが安定したものとなるためには父なる存在としての象徴的なものが必要であること、その象徴的なものを支える大他者は『ナジャ』においては読者の視線であること、そしてその上でブルトンは自らの欲望に忠実であろうとするのだが、そのためには象徴的な間主観的体系に支えられていなければならず、もしそのような支えがなければ共同体においてではなく自分にとっての象徴体系である美に依存しなければならないが、そのためには一旦間主観的共同体から距離を置くということでテキスト内でブルトンが消滅してしまうことをラカン理論によって明らかにした。最後にこれは事実に基づく物語であるが、神の采配によっては別の展開もあり得たということで、神の問題を指摘しておいた。

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