ミナンカバウ(西スマトラ)のムハマディヤ運動に関する一考察

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タイトル別名
  • ミナンカバウ(ニシスマトラ)ノ ムハマディヤ ウンドウ ニ カンスル イチ コウサツ
  • One of Consideration about MUHAMMADIYAH Movement in West Sumatra

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K.H.アフマド・ダフランにより1912年中部ジャワの古都ジョクジャカルタにおいて設立されたイスラム改革団体ムハマディヤ(Muhammadiyah)は、1914年オランダ植民地政庁によりジャワでの活動を認可され、21年にはジャワ以外の地外領でも認められた後、全国的な組織へと発展する。イスラム近代改革組織としてのムハマディヤは、近代社会への適合を目指すとともに、イスラムの初期の精神への回帰を志向する。ムハマディヤは支部を各地に広げ、イスラムの一大勢力となった。特に、1920年代後半より、組織はジャワからスマトラへと拡大、その勢力は一気に膨張する。1925年西スマトラのムハマディヤ・マニンジャウ支部が成立、翌年パダン・パンジャン(西スマトラ)にも支部が設立された。既に、これらの支部設立に関しては、『別府大学紀要』(2014年)において考察済みであるので、小稿では、1930年西スマトラのブキティンギ(フォルト・デ・コック)で開かれた第19回ムハマディヤ大会について検討するとともに、西スマトラのイスラム改革運動についても考察する。

収録刊行物

  • 史学論叢

    史学論叢 47 134-137, 2017-03

    別府大学史学研究会

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